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札幌村行幸

明治14年の北海道行幸

明治天皇が、かつて元町地区を行幸されたことは、あまり知られていません。1881(明治14)年の北海道 巡幸は、北海道開拓使の10年計画が1880(明治15)年1月で終了するため、その前に拓殖の成績を視察するのが目的でした。8月29日に青森港から 御召艦扶養に乗船、途中嵐に遭遇し、ようやく翌日30日になって小樽港に入港しました。
小樽市内と銭函の巡幸を中止し、同じ日の夜、特別列車「開拓使号」にて札幌停車場に直行、豊平館(現テレビ塔の北側)に向かいました。道路には提灯を掲げ、かがり火を焚いて大勢の官民が奉送し、遠近の各村から一目見ようと集まった老若男女でいずこの旅館も満杯になりました。まさに、開府以来の未曾有の賑わいとなったと新聞は報じています。
翌8月31日、開拓使本庁舎で黒田長官の北海道の開拓の経過をお聞きになられ、続いて工業課・紡績所・麦酒製造所をご巡覧されました。更に、苗穂勧業係葡萄園(現国鉄苗穂工場用地)を視察の後、現在札幌村郷土記念館裏の橋詰(伏籠橋)の左岸にあった小高い丘の麓で馬より降りられ、丘に登って御野立所(おのだちしょ:移動中の天皇が野外で休憩した場所)から四方を展望、農業の状況をご覧のうえ、元村を経て行住所に御帰還なされました。
札幌村の御滞在はごく短いものだったと思われますが、元町地区を巡幸されています。今となって、御野立所は どこであったか分かりませんが、記念館裏には周囲よりも少し高い地形があります。

除幕式の様子
(札幌市東区HP)

明治天皇行幸記念碑
(札幌市東区HP)

2019年10月25日、 1881(明治14)年の札幌村行幸を記念し、札幌村郷土記念館の前庭で「明治天皇行幸記念碑」の除幕式が行われました。この碑は、明治天皇が札幌を訪問した折、大友亀太郎が造成した大友堀を中心に開墾された東区での農業の実情を視察したことを記念したものです。天皇陛下即位の年に、先人の開拓精神を今に生かして未来につないでいこうと、明治天皇行幸記念碑建立期成会(橋場善光(はしば・よしみつ)会長)により、札幌村郷土記念館の敷地に建立されました。